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Wednesday, 19 June 2019

三国志 呉書 孫堅


三國志 卷四十六




吳書一

孫破虜討逆傳第一
日本語訳



孫堅、字文臺、吳郡富春人、蓋孫武之後也。
孫堅は字を文台といい、呉郡富春の人である。おそらく孫武の後裔なのだろう。

少爲縣吏
若くして県吏となった。

年十七、與、共載船至錢唐、會海賊胡玉等、從匏里上、掠取賈人財物、方於岸上、分之。
十七歳のとき、と一緒に船に載って銭唐まで行ったが、ちょうど海賊の胡玉らが匏里から上陸して商人の財物を略奪し、岸の上でそれを分配しようとしているところだった。

行旅皆住、船不敢進。
旅人たちはみな立ち往生し、船は進むことができなかった。


孫堅に言った。

「此賊可擊、請討之」
「こいつら賊どもを攻撃すべきです。やつらを討伐させてください。」


は言った。

「非爾所圖也」
「爾の考えられることじゃないぞ。」

、行操刀上岸、以手東西指麾、若分部人兵以羅遮賊狀。
孫堅は突き進んで刀を引っ提げて岸に上がり、手で東西に指しまねき、部下の兵士を分散させて賊を包囲遮断するかのようなふりをした。

賊、望見、以爲官兵捕之、卽委財物散走。
賊は眺め見て、官兵が捕まえにきたと思い、すぐさま財物を棄てて逃げ散った。

追、斬得一級、以還。大驚。
孫堅は追いかけて斬り、首級一つを持って帰ってきたので、は大いに驚いた。

由是顯聞、府召署假尉
これによって名声は顕著となり、(県の?)府に召されて仮の尉に任命された。



會稽妖賊許昌、起於句章、自稱陽明皇帝、與其子、扇動諸縣、衆以萬數。
会稽の妖賊(宗教に基づく叛逆者)許昌句章で蜂起し、自ら陽明皇帝を称して、その子許韶とともに諸県を煽動し、軍勢は万単位で数えられた。

、以郡司馬、募召精勇、得千餘人、與州郡合討破之。
孫堅郡の司馬として精鋭を募って千人余りを得て、州郡と合流して彼らを討ち破った。

是歲、熹平元年也。
この歳は熹平元年(一七二)である。

刺史臧旻、列上功狀。
刺史臧旻が功績をつぶさに列挙して上表した。

詔書、除鹽瀆丞、數歲徙盱眙丞、又徙下邳丞
詔書が下って孫堅塩瀆の県丞に叙任され、数年して盱眙県丞に異動となり、さらに下邳県丞に異動になった。



中平元年黃巾賊帥張角、起于魏郡
中平元年(一八四)、黄巾賊の総帥張角魏郡で蜂起した。

託有神靈、遣八使、以善道教化天下。
神霊にかこつけて、八人の使者を派遣し、善道によって天下を教化し、

而潛相連結、自稱黃天泰平
その一方で密かに連結を組み、自ら黄天泰平と称した。

三月甲子、三十六萬、一旦俱發。
三月甲子、三十六万は同じ日に一斉に決起。

天下響應、燔燒郡縣、殺害長吏
天下は響くように呼応し、郡県を燃焼し、長吏(県令・県長)を殺害した。

漢遣車騎將軍皇甫嵩中郎將朱儁、將兵討擊之。
漢(の朝廷)は車騎将軍皇甫嵩中郎将朱儁を派遣して軍勢を率いさせ、これを討伐させた。



表請、爲佐軍司馬
朱儁は上表して孫堅左軍司馬にするよう請願した。

鄉里少年隨在下邳者、皆願從。
郷里の若者たちのうち、下邳に付いてきた者たちはみな従軍を願い出た。

、又募諸商旅及淮泗精兵、合千許人、與幷力奮擊、所向無前。
孫堅は一方でもろもろの旅商人や淮水・泗水流域の精鋭を募り、千人ばかりを糾合し、朱儁と力を合わせて奮闘したが、向かうところ敵なしだった。

汝潁賊、困迫、走、保宛城
汝(南)・潁(川)の賊どもは追い詰められ、逃走して宛城に楯籠った。

、身當一面、登城先入。衆乃蟻附、遂大破之。
孫堅は自ら一方面を担当し、城壁をよじのぼって先に入り、軍勢はそのあとで蟻のように張り付き、ついにこれを大破した。

、具以狀聞上、拜別部司馬
朱儁がつぶさに状況を上表すると、孫堅別部司馬の官を授けられた。



邊章韓遂、作亂涼州
辺章・韓遂涼州で混乱を起こした。

中郎將董卓、拒討、無功。
中郎将董卓が迎え撃ったが成果を挙げられなかった。

中平三年、遣司空張溫、行車騎將軍、西討等。
中平三年、司空張温車騎将軍の職務を行わせ、西進して辺章らを討たせた。

、表請參軍事、屯長安
張温は上表して孫堅参軍事にするよう要請し、長安に駐屯した。

、以詔、書召
張温は詔書を奉じて董卓を召し寄せたが、

、良久乃詣
董卓はしばらくしてからやっと張温のもとに出頭した。

責讓應對不順。
張温董卓を譴責したが、董卓の対応は従順でなかった。

、時在坐、前、耳語謂
孫堅はこのとき坐中にあったが、進み出て張温に耳語して言った。

、不怖罪而鴟張大語。
董卓は罪をも恐れず大言壮語して威張っております。

宜以召不時至、陳軍法斬之」
すぐさまお召しに応じてやって来なかったことを名目に、軍法を陳述して彼を斬るべきです。」


張温は言った。

、素著威名於隴蜀之間。
董卓は平素より隴・蜀地方で威名を顕している。

今日殺之、西行無依」
今日彼を殺せば西進するにも伝手がなくなってしまう。」


孫堅は言った。

明公、親率王兵、威震天下。
明公は直々に天兵を率い、威光は天下を振るわしておられます。

何賴於
どうして董卓に頼ろうとなさるのです?

所言、不假明公、輕上無禮、一罪也。
董卓の言葉を観察いたしますと、明公に敬意を払わず、お上を軽んじて無礼です。(それが)第一の罪です。

章遂、跋扈經年、當以時進討、而云未可、沮軍疑衆、二罪也。
辺章・韓遂が跳梁跋扈して年をまたいでおり、時機を見て進んで討つべきなのに、董卓はまだ良くないと言っては軍勢を沮喪させ人々を心配させております。第二の罪です。

、受任無功、應召稽留、而軒昂自高、三罪也。
董卓は任務を受け持ちながら功績がなく、お召しに応じるときもぐずぐずと先延ばしにし、そのくせ意気軒昂として自分を誇っております。第三の罪です。

古之名將、仗鉞臨衆、未有不斷斬以示威者也。
古代の名将は鉞によって人々に臨み、斬刑の断行によって威信を示さなかった者はありません。

是以、穰苴莊賈魏絳楊干
これこそ穣苴荘賈を斬り、魏絳楊干を処刑しました(理由です)。

明公、垂意於不卽加誅、虧損威刑於是在矣」
いま明公董卓に意を垂れられ、ただちに誅伐をお加えにならない。威信・刑罰の欠損はそのせいなのですぞ。」

不忍發舉、乃曰
張温は摘発検挙するに忍びず、そこで言った。

「君、且還。將疑人」
「君はひとまず帰りなさい。董卓に疑われるぞ。」

、因起出。
孫堅はそこで立ち上がって退出した。



章遂、聞大兵向至、黨衆離散、皆乞降。
辺章・韓遂は大軍が向かってくると聞き、仲間の軍勢が離散したので、みな降服を乞うた。

軍還、議者以軍未臨敵、不斷功賞。
軍は帰還したが、論議する者たちは、軍が敵と衝突していなかったことから論功行賞を行うべきでないとした。

然、聞三罪斬之、無不歎息。
それでも孫堅董卓三つの罪を数え上げ、張温に彼を斬るよう勧めたと聞き、歎息しない者はなかった。

議郎
孫堅議郎の官を拝受した。



時、長沙區星、自稱將軍、衆萬餘人、攻圍城邑。
当時、長沙の賊区星将軍を自称し、軍勢一万人余りで城邑を攻め囲んでいた。

乃以、爲長沙太守
そこで孫堅長沙太守とした。

到郡、親率將士、施設方略、旬月之閒、克破等。
郡に着任するや直々に将兵を率い、計略を施して、一ヶ月のあいだに区星らを撃ち破った。

周朝郭石、亦帥徒衆、起於零桂、與相應。
周朝・郭石もやはり衆徒の頭目となって零(陵)・桂(陽)で蜂起し、区星と互いに呼応していた。

遂越境尋討、三郡肅然。
そのまま越境して遠征討伐し、三郡は粛然とした。

漢朝錄前後功、封烏程侯
漢朝では前後の功績を記録し、孫堅を封じて烏程侯とした。



靈帝崩。、擅朝政、橫恣京城
霊帝が崩御すると董卓が朝政を専断し、京城で横暴勝手を働いた。

諸州郡、並興義兵、欲以討
諸州郡はいずれも義兵を起こして董卓を討とうとした。

、亦舉兵。
孫堅もまた兵を挙げた。



荊州刺史王叡、素遇無禮、過殺之。
荊州刺史王叡は平素から孫堅への待遇が無礼であったので、孫堅は通過したとき彼を殺した。

比至南陽、衆數萬人。
南陽に到達するころには、軍勢数万人になっていた。

南陽太守張咨、聞軍至、晏然自若。
南陽太守張咨は軍が到着したと聞いても泰然自若としていた。

、以牛酒禮、明日亦答詣
孫堅は牛酒を捧げて張咨に挨拶し、張咨も翌日やはり返礼のため孫堅のもとを訪ねた。

酒酣、長沙主簿入白
酒宴が酣となると、長沙の主簿が入ってきて孫堅に言上した。

「前移南陽、而道路不治、軍資不具。
「事前に南陽へ回し文を送付しましたのに、道路は整備されず、軍需物資の備えはありませんでした。

請、收主簿、推問意故」
主簿を収監して事件の首謀者について尋問されたく存じます。」

、大懼、欲去、兵陳四周不得出。
張咨は強い恐怖を抱き立ち去ろうとしたが、兵士が四方を取り巻いていて出ることができなかった。

有頃、主簿復入白
しばらくして、主簿がまた入ってきて孫堅に言上した。

南陽太守、稽停義兵、使賊不時討。
南陽太守は義兵を足止めし、賊を時機に応じて討たせまいとしております。

請、收出案軍法從事」
(太守を)収監して引っ張り出し、軍法を勘案して処理されたく存じます。」

便牽、於軍門斬之。
すぐさま張咨を軍門まで引っ張って行き、彼を斬った。

郡中震慄、無求不獲。
郡中は戦慄して、要求して得られないものはなかった。



前到魯陽、與袁術相見。
前進して魯陽に到達し、袁術に謁見した。

、表破虜將軍、領豫州刺吏
袁術は上表して孫堅破虜将軍を代行させ、予州刺史を領させた。

遂治兵於魯陽城
そのまま軍勢を魯陽城で調練した。

當進軍討、遣長史公仇稱、將兵、從事還州督促軍糧。
進軍して董卓を討つにあたって、長史公仇称に軍勢を率いさせて従事し(?)、州に還らせて軍糧を督促させることにした。

施帳幔於城東門外、祖道送、官屬並會。
城の東門の外に幔幕をめぐらして公仇称の出立に送別会を行い、官吏たちはみな参会した。



、遣步騎數萬人逆、輕騎數十先到。
董卓は歩騎数万人を遣して孫堅に迎撃させたが、軽騎兵数十騎が先に到達した。

、方行酒談笑、敕部曲整頓行陳、無得妄動。
孫堅はちょうど酒を呑んで談笑していたところだったが、部曲に命令を下して陣列を整えて妄動しないようにさせた。

後、騎漸益。、徐罷坐、導引入城、
後続の騎兵が次第に増えてくると、孫堅はゆっくりと座を立ち、(軍勢を)導いて入城させた。

乃謂左右曰
そこで左右の者に言った。

「向、所以不卽起者、恐兵相蹈籍諸君不得入耳」
「はじめ孫堅がすぐさま立ち上がらなかったのは、兵卒どもが踏みつけあって諸君らが入れなくなることを心配したからだ。」

卓兵、見堅士衆甚整、不敢攻城、乃引還。
董卓の軍勢孫堅の軍勢が非常に整然としていることを見て、あえて城を攻めることなく引き返していった。



、移屯梁東、大爲卓軍所攻。
孫堅梁の東に移駐したが、董卓軍の総攻撃を受けた。

、與數十騎潰圍而出。
孫堅は数十騎とともに包囲を破って脱出した。

、常著赤罽幘。乃脫、令親近將祖茂、著之。
孫堅はいつも赤い罽幘を着用していたが、を脱いで親近の将軍祖茂にこれを着用させた。

卓騎爭逐、故從閒道得免。
董卓の騎兵は争って祖茂を追走したので、孫堅は間道をつたって逃げることができた。

、困迫、下馬、以冠冢閒燒柱、因伏草中。
祖茂は追い詰められて馬を下り、を塚のあいだの焼け柱にかぶせ、そこで草むらの中に身を伏せた。

卓騎、望見、圍繞數重、定近覺是柱、乃去。
董卓の騎兵は眺め見ながら幾重にも包囲したが、近付いてみてそれが柱であったと分かり、ようやく立ち去った。



、復相收兵、合戰於陽人、大破卓軍、梟其都督華雄等。
孫堅はふたたび軍勢を集めて陽人で合戦し、董卓軍を大破して、その都督華雄らを梟首した。

是時、或閒
当時、ある人が孫堅袁術を離間させようとした。

懷疑、不運軍糧
袁術は疑惑を抱き、軍糧を供給してやらなかった。

陽人、去魯陽百餘里。
陽人魯陽を去ること百里余りあったが、

、夜馳見、畫地計校、曰
孫堅は夜中に馳せ帰って袁術に会い、地面に絵を描いて相談しながら言った。

「所以出身不顧、上爲國家討賊、下慰將軍家門之私讐。
「身を投げ出して顧みない訳は、上は国家のために賊を討ち、下は将軍のご家門の私的な恨みをお慰めするためです。

、與非有骨肉之怨也。
孫堅董卓に骨肉の恨みがあるわけではありません。

而將軍、受譖潤之言、還相嫌疑!」
それなのに将軍は譖潤(?)の言葉をお受けになって、逆に嫌疑を差し向けなさるのか!」

踧踖、卽調發軍糧還屯。
袁術は踧踖とし、すぐに軍糧を徴発したので、孫堅は屯営に帰っていった。



、憚猛壯、乃遣將軍李傕等、來求和親
董卓孫堅が勇猛であることを恐れ、そこで将軍李傕らを派遣して和親を求めた。

列疏、子弟任刺史郡守者、許表用之。
いま孫堅が子弟を刺史・郡守として列挙すれば、許諾して上表のうえ彼らを任用するだろうとした。


孫堅は言った。

、逆天無道、蕩覆王室。
董卓は天に背いて非道であり、王室を転覆させようとしている。

今、不夷汝三族縣示四海、則吾死不瞑目。
いま汝の三族を皆殺しにして四海に県示(掲示)してやらねば、吾は死んでも瞑目できない。

豈將與乃和親邪」
どうして乃らと和親などしようか?」



復進軍大谷、拒九十里。
ふたたび大谷まで進軍し、雒陽を拒てること九十里になった。

、尋徙都、西入、焚燒雒邑
董卓はにわかに都を西方に移して(函谷)関に入り、雒陽の邑を焼き滅ぼした。

、乃前入至、脩諸陵、平塞所發掘。
孫堅はそこで前進して雒陽に入り、もろもろの陵墓を修復し、董卓が発掘したところを塞いで平らにした。

訖、引軍還、住魯陽
それが終わってから軍勢を率いて帰還し、魯陽に駐屯した。



初平三年、使荊州、擊劉表
初平三年、袁術孫堅荊州へ遠征させて劉表を攻撃した。

、遣黃祖逆於樊鄧之間
劉表黄祖をやって樊・鄧一帯で迎撃させた。

、擊破之、追渡漢水、遂圍襄陽
孫堅はこれを撃破し、追走して漢水を渡ってそのまま襄陽を包囲した。

單馬行峴山、爲祖軍士所射殺。
ただ一騎で峴山を通行しているとき、黄祖の兵士に射殺された。



兄子、帥將士衆就
兄の子孫賁は兵士を引き連れて袁術に属した。

、復表、爲豫州刺史
袁術はふたたび上表して孫賁予州刺史とした。



堅四子、
孫堅の四人の子は孫策孫権孫翊孫匡といった。

、既稱尊號、諡曰、武烈皇帝
孫権(皇帝の)尊号を称したのち、孫堅に諡して武烈皇帝と呼んだ。



(了)



→ 三国志 呉書 孫策

→ 三国志 魏書 曹操
→ 三国志 蜀書 劉備


原文:正史三国志
日本語訳:三国志日本語訳

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