Amazon_01

Tuesday, 18 June 2019

三国志 蜀書 劉備 2/4


三國志 卷三十二




← 三国志 蜀書 劉備 1/4


蜀書二
先主傳第二 2/4
日本語訳



先主小沛、復、合兵得萬餘人。
先主小沛に帰還すると、また軍勢を糾合して一万人余りを手に入れた。

呂布惡之、自出兵攻先主先主敗走歸曹公
呂布がそれを嫌い、みずから出兵して先主を攻めると、先主は敗走して曹公に身を寄せた。

曹公厚遇之、以爲豫州牧
曹公は彼を手厚くもてなし、予州牧に任じた。

將至、收散卒、給其軍糧、益與兵、使東擊
へ行って敗兵を拾うに先立ち、彼に軍糧を補給して軍兵を授け、東行して呂布を撃たせた。

、遣高順攻之。曹公夏侯惇、往不能救、爲所敗。
呂布高順を派遣してこれを攻めさせたので、曹公夏侯惇を出したが、救援することができずに高順に打ち破られた。

復虜先主妻子、送
(高順は)またもや先主の妻子を捕獲して呂布の元へ後送した。

曹公自出東征、助先主下邳、生禽
曹公はみずから東征に乗り出し、先主を支援して下邳呂布を包囲、呂布を生け捕りにした。

先主復得妻子、從曹公
先主はまた妻子を取り戻し、曹公に随行してへ帰還した。

先主左將軍、禮之愈重、出則同輿、坐則同席。
(曹公は)上表して先主左将軍とし、礼遇はいよいよ鄭重になり、外出のときは同じ輿を、酒宴のときは同じ席を用いた。



袁術欲、經徐州、北就袁紹
袁術徐州経由で北行して袁紹を頼ろうとした。

曹公先主朱靈路招、要擊
曹公先主朱霊・路招を監督させて袁術を迎撃した。

未至、病死。
まだ到着せぬうちに袁術は病死した。



先主未出時、獻帝舅車騎將軍董承辭、受帝衣帶中密詔、當誅曹公
先主が進発する以前のこと、献帝の舅である車騎将軍董承は衣帯に包み隠された帝の密詔を辞受、曹公の誅伐を命ぜられた。

先主未發。
先主はまだ進発していなかった。

是時曹公從容謂先主
そのとき曹公はのんびりとして先主に言った。

「今天下英雄、唯使君耳。
「いま天下の英雄といえばただ使君曹操だけだなあ。

本初之徒、不足數也」
本初(袁紹)のような輩は数えるうちに入らんよ。」

先主方食、失匕箸。
先主はちょうど食べようとしていたときで、うっかり匕と箸とを落としてしまった。

遂與長水校尉种輯將軍吳子蘭王子服等、同謀。
こうして董承および長水校尉种輯将軍呉子蘭王子服らと共謀するようになった。

會見使、未發。事覺、等皆伏誅。
ちょうど(袁術攻撃の)指令を授かったため実行に移せぬまま、計画は漏れ、董承らはみな誅に伏した。



先主下邳
先主下邳を根城とした。

等還、先主乃殺徐州刺史車冑、留關羽下邳、而身還小沛
朱霊らが引き揚げたのち、先主徐州刺史車胄を殺し、関羽を残して下邳を守らせ、自身は小沛に引き揚げた。

東海昌霸反、郡縣多叛曹公先主、衆數萬人。
東海昌霸が反逆すると、郡県の多くが曹公に叛いて先主に味方し、軍勢は数万人になった。

孫乾、與袁紹連和。
(先主は)孫乾を派遣して袁紹と連合した。

曹公劉岱王忠、擊之、不克。
曹公劉岱・王忠にこれを攻撃させたが、勝つことができなかった。

五年曹公東征先主先主敗績。
五年(二〇〇)、曹公が東行して先主を征討すると、先主は敗北した。

曹公盡收其衆、虜先主妻子、幷禽關羽、以歸。
曹公はその軍勢をことごとく接収し、先主の妻子を拘束するとともに関羽を捕虜にして帰還した。



先主青州
先主青州へ逃れた。

青州刺史袁譚、先主故茂才也、將步騎迎先主
青州刺史袁譚は先主の故の茂才であったので、歩騎を率いて先主を出迎えた。

先主平原馳使白
先主袁譚に従って平原に到着すると、袁譚は使者を飛ばして袁紹に報告した。

遣將道路奉迎、身去鄴二百里、與先主相見。
袁紹は将校を派遣して途中まで迎えに出させ、彼自身も鄴から二百里先まで出て、先主と対面した。

駐月餘日、所失亡士卒稍稍來集。
一ヶ月余りも滞在しているうちに、失った士卒たちが次第しだいに集まってきた。

曹公袁紹相拒於官渡汝南黃巾劉辟等、叛曹公、應
曹公官渡において袁紹と対峙しているとき、汝南黄巾賊劉辟らが曹公に叛いて袁紹に呼応した。

先主將兵、與等、略下。
袁紹先主に軍勢を授けて劉辟らとともにの城下で略奪させた。

關羽、亡歸先主
関羽が逃亡して先主に帰参した。

曹公曹仁將兵、擊先主
曹公曹仁に軍勢を授けて先主を攻撃させた。



先主軍、陰欲離、乃說、南連荊州牧劉表
先主袁紹軍に帰陣したが、内心では袁紹の元を離れたく思い、そこで南方の荊州牧劉表と連合すべきだと袁紹を説得した。

先主將本兵、復至汝南、與賊龔都等合、衆數千人。
袁紹先主本来の軍兵を連れて再度、汝南へ行かせ、賊の龔都らと合流させると、軍勢は数千人になった。

曹公蔡陽擊之、爲先主所殺。
曹公蔡陽を出して攻撃させたが、先主に殺されることになった。



曹公既破、自南擊先主
曹公袁紹を撃破したのち、みずから南進して先主に攻撃をかけた。

先主麋竺孫乾、與劉表相聞。
先主麋竺・孫乾を派遣して劉表に連絡を付けさせると、

自郊迎、以上賓禮待之、益其兵、使屯新野
劉表はみずから(先主を)郊外まで出迎え、上賓の礼をもって待遇し、その手勢を増やしてやって新野に屯させた。

荊州豪傑、歸先主者日益多、疑其心、陰禦之。
先主に帰服する荊州の豪傑が日ごとに増えていったので、劉表は彼の本心を疑い、こっそりと邪魔をした。

使拒、夏侯惇于禁等、於博望
(劉表は先主に)夏侯惇・于禁らを博望で防がせた。

久之、先主設伏兵、一旦自燒屯、偽遁。
しばらくして先主は伏兵を設け、ある朝、陣営を自焼して逃走した風を装った。

等追之、爲伏兵所破。
夏侯惇らは追いかけてきて、伏兵に打ち破られた。



十二年曹公北征烏丸
十二年(二〇七)、曹公が北進して烏丸を征討したとき、

先主、說不能用。
先主を襲撃すべきと劉表を説得したが、劉表は採用できなかった。

曹公、南征表、會卒、子代立、遣使請降。
曹公が南進して劉表を征討しようとした矢先、ちょうどそのとき劉表は卒去、子の劉琮が後任に立ち、(曹公に)使者を遣して降服を願い出た。

先主、不知曹公卒至、至乃聞之、遂將其衆去。
先主に駐屯していて曹操の突然の到来を知らず、まで来たところで初めてそれを聞き、手勢を率いて退去した。

襄陽諸葛亮先主荊州可有。
襄陽を通りがかったとき、諸葛亮劉琮を攻めれば荊州を領有することが可能だと先主を説得した。

先主
先主は言った。

「吾不忍也」
「吾には堪えられぬ。」

乃駐馬、呼、懼不能起。
そこで馬を止めて劉琮を呼んだが、劉琮は恐怖のあまり立つことができなかった。

左右及荊州人、多歸先主
劉琮の左右(側近)および荊州人の多くが先主に帰服した。



比到當陽、衆十餘萬、輜重數千兩、日行十餘里。
当陽に着くころには人数十万余り、輜重数千両にもなっており、一日の行程は(わずか)十里余りであった。

別遣關羽乘船數百艘、使會江陵
別働隊として関羽には数百艘の船に乗せ、江陵で落ち合うことにした。

或謂先主
ある人が先主に告げた。

「宜速行、保江陵
「急行して江陵に楯籠るべきです。

今雖擁大衆、被甲者少。
いま多くの人数を抱えてはおりますが、甲冑を着けた者は少ないのです。

曹公兵至、何以拒之」
もし曹公の軍勢が来たならば、どうやって防げましょう?」

先主
先主は言った。

「夫、濟大事必以人爲本。
「そもそも大事を成し遂げるためには人民を根本とせねばならん。

今人歸吾、吾何忍棄去!」
いま人々が吾を頼りにしてくれたからには、吾はどうして見捨てて逃げることができよう!」



曹公、以江陵有軍實、恐先主據之。
曹公は、江陵に軍需物資があることから、先主がその地を占拠することを恐れた。

乃釋輜重、輕軍到襄陽
輜重車を手放し、行軍を軽くして襄陽に到達した。

先主已過、曹公將精騎五千急追之、一日一夜行三百餘里、及於當陽之長坂
先主がすでに通り過ぎたあとだと聞くと、曹公は精鋭五千騎を率いて猛追し、一日一夜で三百里余りも進み、当陽の長阪にて追い付いた。

先主、棄妻子、與諸葛亮張飛趙雲等數十騎走。
先主妻子を棄て、諸葛亮・張飛・趙雲らの数十騎とともに逃走した。

曹公大獲其人衆輜重。
曹公はその人数や輜重を盛大に鹵獲した。



先主、斜趨漢津、適與船會、得濟
先主は(街道を)それて漢津へ馳せ付け、うまい具合に関羽の船団と出くわしたので、沔水を渡ることができた。

遇表長子江夏太守、衆萬餘人、與俱到夏口
劉表の長子である江夏太守劉琦の軍勢一万余りと遭遇し、同道して夏口に到着した。

先主諸葛亮、自結於孫權
先主諸葛亮を派遣して孫権と手を結んだ。

、遣周瑜程普等、水軍數萬、與先主幷力、與曹公戰於赤壁、大破之、焚其舟船。
孫権周瑜・程普らの水軍数万人を派遣して先主に合力させ、赤壁において曹公と対戦し、これを大いに打ち破り、その艦船を焼き払った。

先主吳軍水陸並進、追到南郡
先主呉の軍勢とともに水陸両道から一斉に進み、追撃して南郡まで到達した。

時又疾疫、北軍多死、曹公引歸。
このときはまた疫病の流行もあって、北軍では多数の死者を出していたため、曹公は引き揚げていった。



→ 三国志 蜀書 劉備 3/4


→ 三国志 魏書 曹操




原文:正史三国志
日本語訳:三国志日本語訳

No comments:

Post a Comment